ハンナの憂い

不妊治療中のクリスチャンのブログです。

「嫌われる勇気」~人生は他者との競争ではない

夫に薦められ、数年前から巷で話題のベストセラー「嫌われる勇気」を読みました。

夫からは、君が嫌いなタイプの本かもしれないけど・・・と言われていましたが(夫は私をどんな奴と思っているのか??笑)、特にそんなことはありませんでした。

哲人と青年の対話形式なのでスラスラ読めて、本の内容全部を丸ごと受け入れないといけないというよりは、その中で印象に残ったことを自分なりに取り入れていけばいいのかなと気楽な気持ちで読めた本でした。

 

私自身は第一に、「人生は他者との競争ではない」という、ある意味当たり前なことを改めて教えられました。

他者と比較し、他者全般をいつの間にか敵だとみなしてしまうからこそ、つらいのだと。
人々はすべて自分の仲間であり、自分も他者も一つの共同体の一部なのだと思えば、他人の幸せも祝福できるし、自分に与えられている一つ一つのめぐみを純粋に喜べるようになるのだと思わされました。

振り返ってみれば、私の場合、不妊という現実を特に悲しく感じた瞬間は、SNSで同じ年代の友達が妊娠を報告していたり、こどもと幸せそうに過ごす様子をアップしていたりするのを目にした時だったと思います。
心のどこかで他者と競争していて、かつ、不妊については自分の努力ではどうにもならないことだからこそ、空しくなっていたのだと感じます。
他人は他人、自分は自分。
自分に与えられている、神様からの「めぐみに溢れる人生」を生きる、ただそれだけを考えていたいなと思います。

 

第二に、「承認欲求に支配されないで生きる」ということ。
誰かの期待を満たしながら生きようとすることは、他人を気遣っているようでいて、ある意味では自分の承認欲求を満たすことにばかり目を向ける自己中心的な生き方であるということ。この発想は私にとって新しいものでした。
私の人生を他者がどう評価するかは他者の課題であって、私の課題ではないということ。そう割り切れるようになりたいと思います。

周りの目という意味では、不妊であることで、自分の親のことも、夫の親のことも悲しませてしまっていることを感じ、プレッシャーに思うことがあります。
また結婚してかなり経つので、所属する様々なコミュニティで、事情を知らない人から、「こどもは早く産んだ方がいいよ」「そろそろだよね」など言われると、自分はその人が思う理想的な人生像から外れているのだなと感じます。

でも、他者がどんな理想を持とうと、それは私の課題ではないし、私の価値は他者からの承認あるいは否定によって左右されるものではない。
評価されるときにも、されないときにも、そのことを肝に銘じておきたいと思います。

幼い頃から親しんできたマックス・ルケードの「たいせつなきみ」の絵本の中でも、周りの評価を気にして生きる必要がない、私は神様に作られた価値ある存在なのだというメッセージが繰り返し語られていたのを思い出しました。
大人になるにつれ、様々な責任やしがらみの中で、いやいやそうはいっても・・・と思い、承認欲求の塊のようになってしまっていたな~と思います。
承認欲求から解き放たれて、まっすぐに自分を見ることができるように変えられていきたいです。