ハンナの憂い

不妊治療中のクリスチャンのブログです。

不妊と聖書〜エリサベツ①〜

※私は体系的に神学を学んだわけではないので、釈義や解説ではなく、あくまで一個人の黙想と捉えていただければと思います。

が近づいてきたので、イエス様の母マリヤと同じ頃に出産した人であり、バプテスマのヨハネの母である、不妊の女性エリサベツについて書きたいと思います。
クリスマスに語られる物語の中で、「マリヤ・ヨセフ・イエス様の一家」と比べると、「エリサベツ・夫ザカリヤバプテスマのヨハネの一家」は完全に脇役のような立ち位置です。
アドベントの期間中、礼拝の中でエリサベツについてあまり触れられない年があっても、誰も疑問に思わないくらいの存在感だと思います。
しかし、不妊だった私にとっては、エリサベツはとても興味深い人物です。

 

エリサベツについては、ルカの福音書1章に綴られています。
ザカリヤ・エリサベツ夫妻は神の前に正しい人で、ザカリヤは祭司という聖職者の立場でした。
エリサベツが不妊であったために、2人の間には子どもがおらず、登場時点ですでに高齢になっていました。
この夫婦はどんな思いをしながら、2人で歩んできたのでしょうか。
今のように多様な価値観や生活様式がなく、子どもがいないことは呪いのように思われていた時代です。
「正しく生きているのに、なぜ神様の祝福を得られないのだろう。」
不妊であることを嘲られるたびに、誰か他の人が出産するたびに、そう思ったのではないでしょうか。
もう出産が望めない年齢になってからは、子どもは完全に諦めて、2人で生きているのだって不幸なわけじゃない、神様から十分めぐみをもらって生きているじゃないか、と思えていたかもしれません。
でも、諦めたといっても、傷つかなくなるわけではありません。
何度となく傷ついたり、恥をかかされたりした経験が、頭から心から消えるわけではありません。
高齢になっても不妊ゆえの傷や恥を心に刻んだままだったことが、読み進めていくとわかります。
エリサベツはそんな女性でした。

さて、夫ザカリヤのもとに、後にマリヤの元にも現れる天使ガブリエルが現れ、エリサベツが男の子を産むということ、名前をヨハネとするようにということ、ヨハネは多くの人を神様に立ち返らせる人になるということが語られます。
ところが、ザカリヤは高齢のため信じることができず、その不信仰ゆえに、子どもが生まれて名前をつけるまでは言葉を話せなくさせられてしまいました。
一方、このお告げを聞いたときのエリサベツの反応は記載されていません。
ザカリヤが話せなくなってしまったので、ザカリヤが伝えるより早く、エリサベツは自分の身体の変化に気づいたかもしれません。
いずれにしても、人間的にはありえないタイミングでの妊娠が、エリサベツの身に起こることが伝えられたのでした。

 

長くなってしまいましたので、続きは次回。